某社の財務状況をネットで調べてみる。Yahooファイナンスを本格的に使うのは初めてだ。四季報片手に、思い付くまま読み込ませて行く。経済は生き物、という考えにしばし共感する。

田口ランディさんは著書コンセントの中で
「きれいな芝生の中のホンの少しの逆目を探すのが楽しい」
と云っていたが、そうかもしれない。株価チャートの芝目が変わる瞬間には、人々を狂わせる何らかの理由が現出する。

「風吹けば、桶屋が儲かる」
ということわざがあるが、時間軸マイナスの流れの中で出来事をなぞっていくと確かに説得力が生じてくる。
桶屋が儲かったのはなぜか

ねずみが増えて桶を齧るようになったから

理由をつけるといかにもこの流れは必然のことだったかのように雄弁に結果を語り出す。

では、時間軸プラスにおいてリアルタイムに生きる人々がねずみの増加から桶の大量消費、という選択肢を常に当てはめることができるのか。もちろんそれができていれば仕手屋は存在しない。現実世界という膨大な資料の読解と、判断を狂わせるノイズメーカーを排除して、関連している資料をピックアップし、得られたものを材料として未来予測の積み木を、積み木の意志を読み取るかのごとく積み上げていく。

誰も問題として取り上げないくらい当然のことだが、人間には瞬間瞬間で決めなければならない選択肢が多い。そして有効打を持つ選択肢もすべて一つの入れ物に混ぜてしまうこともある。そして、人生のティッピングポイントには無自覚でバッタリ対面しなくてはならない。唯一ターニングポイントがしだいに確実に目にすることができるのは救いかもしれない。

パラレルワールドを行き来する橋がない限り、どの選択肢を採用しても、それの他の選択がより自分を幸せにしたかどうかなど確かめられない。

「選んだ道が正解だ」

いちいち正論だ。そんな判断を誰かに与えられても責任はすべて自分が背負わなければならないのに。

私は何かに抗うように、自分の歴史のプラスとマイナスの矢印を紡いでいく。行動様式に一貫性の意味を持たせようとし、ターニングポイントには自分にのみ価値のある理由を付けていく。現実という製造マシーンは次々と新たな選択肢を私に突きつけてくる。

とかくこの世は忙しい。タイムマネジメントの苦手な私には、絶望する才能にさえ与えられないようだ。


相変わらず節操のない徒然事。片づけた問題のはずが、ひょっこり顔を出す。もぐら叩きゲームのように、その度事にハンマーを振り下ろす私がいる。実はそんなやりとりを楽しんでいるのかもしれない。絶望さんの方でも、こんな人間には寄り付こうとしないようです。

と、いう一カットを文章にしてみました。



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