◆青白いランタン◆

2001年5月16日
 ガラスのなかに揺らめく炎を見つめると心が落ち着く、と聞いたことがあります。モノが言葉をしゃべる訳ではないけれども、モノを通して読み取っているのでしょうか。

 私の場合、電車に乗ってつり革につかまりながら本を読んでいるとき、ふと顔を上げて窓に目が行くとビックリすることがあります。これが自分か〜。なんて。本を持ったままぼんやり見てると、写りこんだ窓越しに誰かと目が合って気恥ずかしい思いをすることがあります。

 地元から友人が出てきたので、買い物に付き合い、ちょいとスターバックスでまったりしました。そこで現在の活動状況について聞いてもらう。

 自分の求める価値観はあるのか、どういうことを実現していくのか。友人はニューロン・コンピュータや人工知能の方面を専攻していて、私とは全くジャンルの異なる観点でものを見ている人。現在のフォン・ノイマン型コンピュータからSE系の話まで討論しながら進めたが、刺激的だ。

 自分の話も環境を同じくする人と話すのと反応は異なった。ランタンに移りこむ自分の顔のように、誰かを通して自分を見ることになる。

 またしても至極当然か。

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