◆Finding Forrester◆
2001年5月27日少し日にちが空いてしまいましたが、さっそくはじめたいと思います。
▼内容
ブロンクス育ち(いわゆるスラムですな)の主人公ジャマールが、あることがきっかけでノートをフォレスター老人の元に置き忘れてしまいます。ジャマールは部屋にはペーパーバックの山、バスケットをやらせれば誰にも止められないほどでした。ノートを返してもらうのを機に、フォレスターは彼の文才に気付き、添削するようになります。
そんな少年のこと、うっかり本気で受けてしまった州のテストが注目されることとなり、名門私立校のメイヤー・キャロウに編入することになります。フォレスターの元に通うジャマールはフォレスターが処女作でピューリッツアー賞を獲得し、その後姿を消した大作家であることを知ります。そのような環境で訓練された彼の文章はクラスの課題レポートにおいても目を見張る存在になります。
国語の教授クロフォードは突然の才能の出現に訝り、誰かが代筆しているのではと疑い始めます。そのような中、入学のときに知り合ったクレアという女性徒と仲良くなり、またバスケットでもテクニックを磨きチームの柱になっていきます。
フォレスターがほとんど外出しない世捨て人だと知った彼はヤンキースタジアムにフォレスターを誘います。そこで彼の弱さを知り、親子とも友情ともいえる親密感をお互い持つようになります。
彼とは添削を受けるうえで一つだけ約束がありました。部屋で書いた文章は、決して持ち出さないこと。彼は文献に啓発されてレポートを仕上げます。しかし約束を破り、レポートに提出してしまったジャマールに、作品の質に嫉妬したクロフォード教授の嫌疑が始まります。しかしそのことを証明するべく彼の授業でテストをことごとく正解させますが、逆にクロフォード教授の面目を潰すだけ終わってしまいます。
彼の作品がフォレスターの世に出したたった2つの作品の一つ「完全なる審議の季節」の似通ったコピーだと気付いたクロフォード教授はバスケットの州のトーナメントの前の日に彼を呼び出します。フォレスターのことをしゃべるわけにはいかない彼は、盗作であると全校生徒の前で認めるか、退学処分を受けるか、の選択を突き詰められます。
1作品を世に出しただけで去ったと聞かされていた彼はフォレスターを非難し、裏切られたとの気持ちを持って彼の部屋に出入りしなくなります。
バスケットの試合ではクロフォード教授の嫌疑、退学でも残ってもクレアと別れるだろう、と、気持ちの整理がつかず、試合の途中でコートを抜けてしまいます。もちろんメイヤーは敗れます。
チームメイトからも非難を受け、問題の全校集会が行われます。メイヤーを去る覚悟の彼でしたが、突然フォレスターが現れ、驚く生徒やクロフォード教授の前で講演をはじめます。それは、名文でした。感動するクロフォード教授に対して、この文章は彼が書いたものであると云い、彼にかかっている疑惑を晴らします。
・・・最後の章はナイショ。
▼書評など
意外と要約に手間取ってしまいました。下書きしておかないとダメですなぁ。さておき、この本に興味を持ったのは映画化されているからですが、その監督が私のお気に入りの「グッドウィルハンティング」を撮っていたからなのです。
例に漏れず、本作品もサクセス主体のヒューマンドラマです。スラム出身で、黒人で(私の主観ではありませんが)、レベルの低い学校、しかも母子家庭(同上!)。原作を読む限りでは、いかにもあからさまなサクセスストーリーを展開したい!、との意図が露骨に顕れています。このため、序盤を読み進めるのはかなりの苦痛でした。加えてフォレスターの設定もやりすぎでは、との思いもあります。
それでもドラマは右肩上がりに私を引き付けました。人間的弱さ、家族の愛情、ささやかな恋愛。様々な要素が本筋を演出します。ジャマールとフォレスターの関係の変化をメインに追っていくと感情を刺激する暖かさに出会います。
才能の萌芽に接したフォレスターは、教えることで喜びを得、また、自らの創作意欲も得ることになる。お互いに学びあうことこそ、友情ではないか、と読者に呼びかけているように感じました。
この作品はかなり低空飛行で始まりますので、退屈さは必ず感じるでしょう。しかし、作品の価値を名作、秀作とまでは云わないまでも、それなりの価値を与えているのは、フォレスターが高校に現れるシーンが秀逸だからでしょう。「この一文を書きたかったから、一冊仕上げた」、こんなわがままも素直に感動できる魅力が詰められています。
ラストに関しては、ある種読者は認めるだけの役割しか演じられないのかもしれないと考えています。作品が「日没」というのも情景を後押しします。余談ですが、石原慎太郎(現都知事)のデビュー作が「太陽の季節」なので、もし文筆家人生に幕を下ろすとしたら・・・と想像すると、ちょっといいタイトルかもしれません。脱線しましたが、結部を描くために全てが存在した、それでもラストの高潮は見逃せない、と私は思います。
残念なことに私は映画では見ていません。少々悔やまれることです。なお、次数制限がないので苦言も呈しますが、文自体はあまり美しくありません。流暢なそれを望むなら、田口ランディさんあたりをお薦めします(3部作何が違うの?、とは思いますが)。また、前出のとおり物語の展開のさせ方には露骨な面もあります。自然な流れだったら、と少々残念に思います。
ま、この辺で。何か云いたいこと?それはスープの質問かね?とフォレスターに突っ込まれてみたい煎餅でした。ではでは。
▼内容
ブロンクス育ち(いわゆるスラムですな)の主人公ジャマールが、あることがきっかけでノートをフォレスター老人の元に置き忘れてしまいます。ジャマールは部屋にはペーパーバックの山、バスケットをやらせれば誰にも止められないほどでした。ノートを返してもらうのを機に、フォレスターは彼の文才に気付き、添削するようになります。
そんな少年のこと、うっかり本気で受けてしまった州のテストが注目されることとなり、名門私立校のメイヤー・キャロウに編入することになります。フォレスターの元に通うジャマールはフォレスターが処女作でピューリッツアー賞を獲得し、その後姿を消した大作家であることを知ります。そのような環境で訓練された彼の文章はクラスの課題レポートにおいても目を見張る存在になります。
国語の教授クロフォードは突然の才能の出現に訝り、誰かが代筆しているのではと疑い始めます。そのような中、入学のときに知り合ったクレアという女性徒と仲良くなり、またバスケットでもテクニックを磨きチームの柱になっていきます。
フォレスターがほとんど外出しない世捨て人だと知った彼はヤンキースタジアムにフォレスターを誘います。そこで彼の弱さを知り、親子とも友情ともいえる親密感をお互い持つようになります。
彼とは添削を受けるうえで一つだけ約束がありました。部屋で書いた文章は、決して持ち出さないこと。彼は文献に啓発されてレポートを仕上げます。しかし約束を破り、レポートに提出してしまったジャマールに、作品の質に嫉妬したクロフォード教授の嫌疑が始まります。しかしそのことを証明するべく彼の授業でテストをことごとく正解させますが、逆にクロフォード教授の面目を潰すだけ終わってしまいます。
彼の作品がフォレスターの世に出したたった2つの作品の一つ「完全なる審議の季節」の似通ったコピーだと気付いたクロフォード教授はバスケットの州のトーナメントの前の日に彼を呼び出します。フォレスターのことをしゃべるわけにはいかない彼は、盗作であると全校生徒の前で認めるか、退学処分を受けるか、の選択を突き詰められます。
1作品を世に出しただけで去ったと聞かされていた彼はフォレスターを非難し、裏切られたとの気持ちを持って彼の部屋に出入りしなくなります。
バスケットの試合ではクロフォード教授の嫌疑、退学でも残ってもクレアと別れるだろう、と、気持ちの整理がつかず、試合の途中でコートを抜けてしまいます。もちろんメイヤーは敗れます。
チームメイトからも非難を受け、問題の全校集会が行われます。メイヤーを去る覚悟の彼でしたが、突然フォレスターが現れ、驚く生徒やクロフォード教授の前で講演をはじめます。それは、名文でした。感動するクロフォード教授に対して、この文章は彼が書いたものであると云い、彼にかかっている疑惑を晴らします。
・・・最後の章はナイショ。
▼書評など
意外と要約に手間取ってしまいました。下書きしておかないとダメですなぁ。さておき、この本に興味を持ったのは映画化されているからですが、その監督が私のお気に入りの「グッドウィルハンティング」を撮っていたからなのです。
例に漏れず、本作品もサクセス主体のヒューマンドラマです。スラム出身で、黒人で(私の主観ではありませんが)、レベルの低い学校、しかも母子家庭(同上!)。原作を読む限りでは、いかにもあからさまなサクセスストーリーを展開したい!、との意図が露骨に顕れています。このため、序盤を読み進めるのはかなりの苦痛でした。加えてフォレスターの設定もやりすぎでは、との思いもあります。
それでもドラマは右肩上がりに私を引き付けました。人間的弱さ、家族の愛情、ささやかな恋愛。様々な要素が本筋を演出します。ジャマールとフォレスターの関係の変化をメインに追っていくと感情を刺激する暖かさに出会います。
才能の萌芽に接したフォレスターは、教えることで喜びを得、また、自らの創作意欲も得ることになる。お互いに学びあうことこそ、友情ではないか、と読者に呼びかけているように感じました。
この作品はかなり低空飛行で始まりますので、退屈さは必ず感じるでしょう。しかし、作品の価値を名作、秀作とまでは云わないまでも、それなりの価値を与えているのは、フォレスターが高校に現れるシーンが秀逸だからでしょう。「この一文を書きたかったから、一冊仕上げた」、こんなわがままも素直に感動できる魅力が詰められています。
ラストに関しては、ある種読者は認めるだけの役割しか演じられないのかもしれないと考えています。作品が「日没」というのも情景を後押しします。余談ですが、石原慎太郎(現都知事)のデビュー作が「太陽の季節」なので、もし文筆家人生に幕を下ろすとしたら・・・と想像すると、ちょっといいタイトルかもしれません。脱線しましたが、結部を描くために全てが存在した、それでもラストの高潮は見逃せない、と私は思います。
残念なことに私は映画では見ていません。少々悔やまれることです。なお、次数制限がないので苦言も呈しますが、文自体はあまり美しくありません。流暢なそれを望むなら、田口ランディさんあたりをお薦めします(3部作何が違うの?、とは思いますが)。また、前出のとおり物語の展開のさせ方には露骨な面もあります。自然な流れだったら、と少々残念に思います。
ま、この辺で。何か云いたいこと?それはスープの質問かね?とフォレスターに突っ込まれてみたい煎餅でした。ではでは。
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