◆オサライシテミマシタ◆
2001年6月1日反省をしてみようと思う。何故失敗して、後悔するのか。いやー、穴があったら入りたいです。
筆慣らしに余談から。高校の授業で、
「人生は航海に似ている」(Life is like voyage、だっけか)ということわざを初めて聞きました。ただ、黒板ではなく、口述だったので、「人生は後悔に似ている」と半年くらい思ってました。うーむ、なんだか意味が深いなぁ、と。後悔なんて広い意味で解釈できてしまうので、そんなことわざもありかな、と思っていました。後に「航海」と聞いて、めちゃイメージしやすい!、と納得しました。たいした恥かかなくて済んだけど、聞かなくても何かしらプラスに働いたかも、ね。
えー、本題。
面接で
「君は友達50人も100人もいると思うけど、あなたにとって友人とは何ですか」
、と聞かれた。当時の私はこの質問の意図が読み取れなかった。なので、素で答えてしまいました。
「私にとって友達とは、お互い高めあう存在です。判断を下すときや、過ちを犯しそうになったときに、自分を戒めてもらったりして私は成長してきました」
以前にマニュアル本を前日に読んで失敗したことがったので、自分の言葉に噛み砕いて言えるよう封印していたのです、マニュアル本。なので、当時の私にとっては想定外な質問だったわけです(確かに本読むと載ってるね…)。自己成長を仕事に絡めて述べたつもり、だったけど。
さてさて、他にも要因あるだろうけど、最終で(ギャー!)落選。うむむ、物事の帰結には常に理由があるはず。探ってみましょう、と自己添削。私と公の違いか。自分の成長だけでなく、売ってお金を貰って、の循環をパートナーシップをキーワードに述べるべきだったかも、と考えました。
後のある日、ゼミの教授にレポートの打ち合わせで伺ったときにこのことを聞いてみる。
「何言ってんだ、50人も100人も友達いるわけないだろ。そんなにいるのは知り合いだろう。要はその質問で、そのことに気付かなくちゃならなかったんだ。仕事で、合う人とみんな友達になるわけではない。顔を見知ったくらいの人たちを、どう仕事の場で活かしていけるか、を聞いているんだよ。」
あぁ、まさに目からウロコです。有難うございます、先生。すぐにこのあと「俺でもそんなこと言う奴取らないぞ」と言ってくれましたが(T_T)。
確かに私にとっては、私が肩書きをつけた人は、知り合いレベルの仲だと再確認しました。友達、と言い切る存在ではなくて、ナントカ友達。飲み友達、バイト友達。勿論バイト先で友人関係を築きましたが、それ以外のそれはやっぱり肩書きつきでした。上司や部下も居ますし、単純な割り切りでいかないのも重々承知ですし。ただ、そういった関係であっても、私にとっては、言葉に気をつけて言いますが、財産です。コレ聞くんだったら、この人!、って存在当然います。アイツだったらコレ欲しがるだろうな、とこちらから電話したりもします。肩書きといいますか、私なりの性格付けでフォルダに分類している、そういった機能のようです。
私は一期一会を尊重しています。ただ、それを重視する、ということは時間や地理の問題で疎遠になってしまっていることの裏返しであるわけです。パートナーシップなんて何ら意味のこめられていない言葉に逃げるとこでしたわ。落ちて当然、とは自堕落気味の私でも思いませんが、幾粒かの知恵の実は置いていってくれたようです。世の中葉っぱ隊ですから、ムリヤリ掛けてみました。
またまたところで、葉っぱ隊にしろ、リバイバルの「明日があるさ」にしろ、ワーキングソングと申しますか、braveソング多いですね、近頃。悩める時に忍び込んでくるので困ってます。こんな露骨な唄に癒されてたまるかー、っと喘いでます。だって宗教活動みたいなんだもの。モー娘。のLOVEマシーンみたく、脳みそに何も注入されない応援ソングの方が肌に合うんですけど。
「ああ、聖なる単純さよ」といった宗教家ってだれでしたっけ?詳しく知りたい。今回はこれまで。ではでは。
筆慣らしに余談から。高校の授業で、
「人生は航海に似ている」(Life is like voyage、だっけか)ということわざを初めて聞きました。ただ、黒板ではなく、口述だったので、「人生は後悔に似ている」と半年くらい思ってました。うーむ、なんだか意味が深いなぁ、と。後悔なんて広い意味で解釈できてしまうので、そんなことわざもありかな、と思っていました。後に「航海」と聞いて、めちゃイメージしやすい!、と納得しました。たいした恥かかなくて済んだけど、聞かなくても何かしらプラスに働いたかも、ね。
えー、本題。
面接で
「君は友達50人も100人もいると思うけど、あなたにとって友人とは何ですか」
、と聞かれた。当時の私はこの質問の意図が読み取れなかった。なので、素で答えてしまいました。
「私にとって友達とは、お互い高めあう存在です。判断を下すときや、過ちを犯しそうになったときに、自分を戒めてもらったりして私は成長してきました」
以前にマニュアル本を前日に読んで失敗したことがったので、自分の言葉に噛み砕いて言えるよう封印していたのです、マニュアル本。なので、当時の私にとっては想定外な質問だったわけです(確かに本読むと載ってるね…)。自己成長を仕事に絡めて述べたつもり、だったけど。
さてさて、他にも要因あるだろうけど、最終で(ギャー!)落選。うむむ、物事の帰結には常に理由があるはず。探ってみましょう、と自己添削。私と公の違いか。自分の成長だけでなく、売ってお金を貰って、の循環をパートナーシップをキーワードに述べるべきだったかも、と考えました。
後のある日、ゼミの教授にレポートの打ち合わせで伺ったときにこのことを聞いてみる。
「何言ってんだ、50人も100人も友達いるわけないだろ。そんなにいるのは知り合いだろう。要はその質問で、そのことに気付かなくちゃならなかったんだ。仕事で、合う人とみんな友達になるわけではない。顔を見知ったくらいの人たちを、どう仕事の場で活かしていけるか、を聞いているんだよ。」
あぁ、まさに目からウロコです。有難うございます、先生。すぐにこのあと「俺でもそんなこと言う奴取らないぞ」と言ってくれましたが(T_T)。
確かに私にとっては、私が肩書きをつけた人は、知り合いレベルの仲だと再確認しました。友達、と言い切る存在ではなくて、ナントカ友達。飲み友達、バイト友達。勿論バイト先で友人関係を築きましたが、それ以外のそれはやっぱり肩書きつきでした。上司や部下も居ますし、単純な割り切りでいかないのも重々承知ですし。ただ、そういった関係であっても、私にとっては、言葉に気をつけて言いますが、財産です。コレ聞くんだったら、この人!、って存在当然います。アイツだったらコレ欲しがるだろうな、とこちらから電話したりもします。肩書きといいますか、私なりの性格付けでフォルダに分類している、そういった機能のようです。
私は一期一会を尊重しています。ただ、それを重視する、ということは時間や地理の問題で疎遠になってしまっていることの裏返しであるわけです。パートナーシップなんて何ら意味のこめられていない言葉に逃げるとこでしたわ。落ちて当然、とは自堕落気味の私でも思いませんが、幾粒かの知恵の実は置いていってくれたようです。世の中葉っぱ隊ですから、ムリヤリ掛けてみました。
またまたところで、葉っぱ隊にしろ、リバイバルの「明日があるさ」にしろ、ワーキングソングと申しますか、braveソング多いですね、近頃。悩める時に忍び込んでくるので困ってます。こんな露骨な唄に癒されてたまるかー、っと喘いでます。だって宗教活動みたいなんだもの。モー娘。のLOVEマシーンみたく、脳みそに何も注入されない応援ソングの方が肌に合うんですけど。
「ああ、聖なる単純さよ」といった宗教家ってだれでしたっけ?詳しく知りたい。今回はこれまで。ではでは。
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