とんと筆無精でした。申し訳ない(自分にも)。


久々にゼミに出た。出席していたのは半分強ほど。苦戦している人と、早々と大企業に決めた人との差が激しいようだ。私は・・・続けてますが。

ゼミでは遅蒔きながら卒論の格子をプレゼンした。グローバリゼーションという現象の定義について、教授と私で定義が違うので「グローバル化とは〜〜と仮定すれば、〜〜」として論旨を展開することにしました。確かにどの部分に、そしてどの時期を抽出して注目するかによって、解釈が大きく異なる題材だろう。

余談好きの私としては、ディベートの際に「まず定義ありき」の姿勢を採る人物には、鬼の首獲ったり!、とばかりに現象の分析から始めさせるよう仕向ける。考えることなく教え込まれた知識で解決しようとする人は、自滅する。なぜ、このような偏屈な考えを持っているかとを説明するには例題が必要かもしれない。

「赤ん坊がバク転することを”ウンボボ”と定義する」、このように実際の現象の前に物事を定義しておくことが定義主義の起点のはず。だが、どう考えてもあらゆる珍行動にも定義付けがされているわけではない。また、定義主義を掲げる人は、情報の活用、言い換えれば、応用力が不足しているのではないかと思える。「側転だったら〜〜」、条件を変えてあげると沈黙してしまう。

ただ、現在共通認識として使用している言語にも、意味のバッファがあることは認めている。この意味、この立場で使うと〜〜、ということには特に注意している。”エネルギー”などはどの学術分野で使われるかによって、誤解を招く恐れがある。現象如何ではなく、それぞれの定義上の意味(ややこしいが)で使うのか、丸ごと飲み込んでしまうのがベターなのだろう。別にこの問題に関して、こだわりもないので、現象に近い意味を当てはめたら定義、くらいの立場でやってます。説得力のある持論あるなら、よりベターな方を選択してしまうくらい節操ないので。

さて、ゼミ終わった後、ゼミ生とコーヒー飲みながら愚痴った。お陰で自分のセールスポイントが他人の行動を通して明確になった。感謝。

今日は雑記でかんべん。

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