さて、昨日から読み始めた「笑わない数学者」読み終わりました。

森氏の著作は私には刺激的で、とても充実した時間を提供してくれます。こうして読むことで、ひとつひとつ、快楽のストックを食い潰していっていることに目を向けたくない思いすらあります。

今日も今日とて、梅雨。寄り道して中古CDを見て歩くのも億劫に思われるので、さっさと家で読書に励んでみました。

まず心掛けたのが、ストーリィ(←あ、”ィ”の使い方も影響受けてますね♪)の骨組みを掴むこと。どーいう展開を心掛けて、いかに読者の目を欺くか。犀川&萌絵がどのように殺人が行われる場所を日常的に行動するのか。そして、難解な迷宮に逸れていってしまうのか。いわゆる、起承転結構造を見抜くこと。大まかに見れば、エンタテイメント小説なので、起伏に富んで、読者を「アッ」っといわせる仕組みになっているはず。しかも(いや、補完的意味だが)、作者は大学助教授なので論理的文章の訓練を受けている人なわけで。

次にセンテンスの面白みを感じること。例えば私が思わずうなり笑いをしてしまったところは・・・


「話は良くわかったけど。ちょっと、考えさせてくれないかな。あの、突然で…」
「駄目です」小林が言う。
(考えるのも駄目というのは、どういう了見だろう)

ここで私がうなったのは、“了見”という単語を事も無げに使っていたこと。そして、女性に詰問されているのに「考えるのも…」と客観的な冷静さを犀川先生が保っていることのギャップ。きっと、森氏の素養がキャラクターに性格という命を吹き込んでいるのでしょう。森氏が聞いたら個別のことと謙遜されるかもしれませんが。

トリックの設定にも目を見張る点(リスペクトして面、と言うべきかも知れません)が見受けられます。密室モノなので、最初の舞台設定から意匠が込められているのです。問題になるのは密室の定義かもしれませんが、事件に気付いた人が密室状態だと思うなら、そうなのでしょう(ね?)。

ともあれ、読み物として楽しめただけでなく、刺激的な人物像を想像させます。脳みそのシワ少しは増えたかな?ジャンル的に「理系」ミステリィと分類されるのも興味を引く点でしょうか。初見には、なにそれ、っと思いました。しかし読み始めると当然のことのようにコンピュータ言語や数を使ったゲームが飛び出してきます。7は孤独だ、とか。うーん、頭を働かせながら読む。そうはいってもミステリィは至極丁寧な解答解説がセオリーのようなので、そのギャップも興味深く思います。

ふぅ、書評でも何でもなくて、私のフィルターを通して、しかも選別されたOUTPUTで、語ってみました。読む文章が作者の語り掛けなら、読者の吐く言葉は読者の人となりでしょう。確率論にゃぁほぼゼロでしょうが、他ならぬ森氏のために綴ってみました。私はお客さんで、森氏はビジネス。まるで今の私の現状のようではないか。客である分、いい加減なこと書いてても許されてしまう。ここいらでポリシー増やしますかね。

「両者の視点を持つこと」。

この意味で、私はブンケーでもキャクにでも捕らわれてはいけませんな。数学者は最後に笑い、私は笑いながらも、最後には口を引き締める。


たまには、Goodbye、と。


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