◆かっこつけないで、他人を配慮しよう。◆
2001年7月22日結論を先に述べておく。”お互いさま”の精神を忘れないようにしよう、ということ。ここで読み飛ばしてくださっても論旨は変わりません。
華風亨さんの日記を読む。明石市の花火大会の惨事のことを書き記している。普段、私の日記は文字上では奇をてらったり、誤字は多いものの、整形して取り繕って出しています。誰かに読まれることを前提とした文章だからです。では、読む側に回ればどうか、というと、なんの構えも用意せずにテキストに触れています。
今回、筆を進める力になったのは、他人のノーガードな文章によるものです。多くのメディアで件の惨事を特集しています、が、時として著名な論説員の正確無比なコメントよりも、半径50メートルの無名な一般人の吐露のほうが人の心を動かすものです。
私は事件に関して記述している素人の方の誰とも面識はありません。けれどもどのような形であれ、見る者の中に飛び込んでくる率直さを感じました。
私個人としては感傷的でない意見もあります。人の流れを観察すべきだ、自分の命の管理を誰かに任すな、無秩序な若人の跳梁を許すべきではない、など。その場に居ないからこそ言える、自分の他人とのギャップを感じる瞬間であります。
ただ、一方で自分がその人ごみの中に居たら・・・、と想定する自分もいます。「〜すべき」は正論、誰にでも言えます。もし居たならどうしただろう?何が出来ただろう?そう考えると悲しさが先行してきます。自分の不満が溜まるだろうときにこそ、誰かの心配を求められているときなのだと気付かされます。弱い、強い人間うんたら、ではないでしょう。
考えれば、毎朝の超満員の通勤電車、ホームぎりぎりまで膨れ上がった乗客、の姿がすぐ頭に浮かんできます。もし一部のエゴが優先されたら、普段の光景がどんなに恐ろしいことになることか!
”私たち”の中には”私”も必ず含まれます。”私”が迷惑を受けているとしても、”私”が逆に迷惑を少しづつ”私たち”にかけていることもあるはずです。結局単純なことを一人一人が理解し、「お互いさまだから」の小さなゆとりを持って行動するしかないでしょう。
知っているモラルについて全部言ってみろ、と求められてもそれは無理です。しかし、現場に自身が身を置いたときに何をすべきか、まで忘れた人間にはなりたくないものです。
幼稚な理想論と切り捨てても構いません。が、私には自分の体でそれを実践していくしか表現の方法を知りません。こんな無名の日記は消費され忘れ去られていっても結構ですが、お互い知らぬ者とはいえ、この文面を見られた方にだけは、伝えておきたくて書きました。視聴率が欲しくて私は公開しているのではないので。マスコミを目指す方は、意見違って当然ですので、あなたなりの手法を模索してください。
私が切り取れる風景はこれまで。考えたら答えを出す。それだけ。
華風亨さんの日記を読む。明石市の花火大会の惨事のことを書き記している。普段、私の日記は文字上では奇をてらったり、誤字は多いものの、整形して取り繕って出しています。誰かに読まれることを前提とした文章だからです。では、読む側に回ればどうか、というと、なんの構えも用意せずにテキストに触れています。
今回、筆を進める力になったのは、他人のノーガードな文章によるものです。多くのメディアで件の惨事を特集しています、が、時として著名な論説員の正確無比なコメントよりも、半径50メートルの無名な一般人の吐露のほうが人の心を動かすものです。
私は事件に関して記述している素人の方の誰とも面識はありません。けれどもどのような形であれ、見る者の中に飛び込んでくる率直さを感じました。
私個人としては感傷的でない意見もあります。人の流れを観察すべきだ、自分の命の管理を誰かに任すな、無秩序な若人の跳梁を許すべきではない、など。その場に居ないからこそ言える、自分の他人とのギャップを感じる瞬間であります。
ただ、一方で自分がその人ごみの中に居たら・・・、と想定する自分もいます。「〜すべき」は正論、誰にでも言えます。もし居たならどうしただろう?何が出来ただろう?そう考えると悲しさが先行してきます。自分の不満が溜まるだろうときにこそ、誰かの心配を求められているときなのだと気付かされます。弱い、強い人間うんたら、ではないでしょう。
考えれば、毎朝の超満員の通勤電車、ホームぎりぎりまで膨れ上がった乗客、の姿がすぐ頭に浮かんできます。もし一部のエゴが優先されたら、普段の光景がどんなに恐ろしいことになることか!
”私たち”の中には”私”も必ず含まれます。”私”が迷惑を受けているとしても、”私”が逆に迷惑を少しづつ”私たち”にかけていることもあるはずです。結局単純なことを一人一人が理解し、「お互いさまだから」の小さなゆとりを持って行動するしかないでしょう。
知っているモラルについて全部言ってみろ、と求められてもそれは無理です。しかし、現場に自身が身を置いたときに何をすべきか、まで忘れた人間にはなりたくないものです。
幼稚な理想論と切り捨てても構いません。が、私には自分の体でそれを実践していくしか表現の方法を知りません。こんな無名の日記は消費され忘れ去られていっても結構ですが、お互い知らぬ者とはいえ、この文面を見られた方にだけは、伝えておきたくて書きました。視聴率が欲しくて私は公開しているのではないので。マスコミを目指す方は、意見違って当然ですので、あなたなりの手法を模索してください。
私が切り取れる風景はこれまで。考えたら答えを出す。それだけ。
コメント