◆「千尋」を通してみる、宮崎駿◆
2001年8月1日少しご無沙汰しておりました、煎餅です。
第一水曜「映画の日」に映画館に行って”千と千尋の神隠し”を見てきました。古い建物ながら、音響にこだわりを持って映画館を選んでみました。やや自己満足の部類ですか?
大衆映画館はどこでもそうですが、劇場が暗くなるまで席でお煎餅パリパリ音立て匂い立てているのですが、幕が開くと水をうったように静まり返る。芸術、ではなく、身近に娯楽を楽しむやり方を心得ているのですね。
さて、ココからが題意に入ります。
人が生きる力。
ただそれだけの力。
多くの場面において、人は何より多くのものを求める。しかし、ただそれだけのために、置き場所を認めてもいいものがある、と思う。
そして言葉。
言葉は人類が築き上げた意志の伝達道具だ。だけれども言葉を使っても伝え難いこともあれば、言葉のもつ意味を軽く取り扱ってきていることもある。
私も先人に倣い、単純に一つのことをテキストに変換してみようと思う。
空間と一体になったように、スクリーンに没入した。見栄を掃き棄て、自然と全てを受け入れている。私は主人公千尋の表情の変化に心惹かれた。始めは怯え、人に頼り、うずくまる。しかし、ひと泣きした後、自立し、目的を持ち、他者を気遣う強さと優しさを持つようになる。開幕直後のずぶたれた顔がウソのようにキリリとした表情を見せてくれる。
自分の幼少期を動画にトレースしたのは私だけではないだろう。そんな機会を映画に重ねても良いと思う。私が父親になって子供が10歳になったら、この映画を一緒に見てみたいと思う。シンプルな一つのことを遺してあげたい。意志も言葉も世の中の有用な雑事にかき消され、意味にも気付かないで過ごしつづけるときだからこそ。
・・・トランス(主観)終了。
確かに宮崎氏が贈り物をしている年齢は10歳ごろなのだろうと推察できる。では大人と呼ばれる年代が見るものではないかといえば、そうではない。私はこの作品が、かつて10歳だったころの自分を思い出させてくれる要素をもっていると思う。記憶と思い出の違いのようなもので、機会に恵まれないと格納庫から記憶を引き出して再生できないのだ。こう書いて気づいたけど、ネスレのCMって、実は凄かったのね・・・。
そういった意味でも、主人公の成長物語を描いた作品だ、と結論付けたくない気がする。かつてのあの頃に引き戻され、銀幕が覆い隠されたときに余韻を味わって欲しい。これも私のファインダで見た主観でしかないが(しみじみ)。
娯楽作品としても優秀で、所々で劇場全体で笑い声を響かせました。動画の技術的なこととか、主題歌のこと、配役のことなんかも書き加えたいところだけど、今は一つを述べるだけで精一杯。メッセージ性は押し付けがましくないのだけれど、気になってメモリの整理してたら、書き上げるの遅くなってしまいました。ラストでなーんであっさり・・・したんだろう、と考えたりしてたので。
なので消化率78%。森文庫もまだ読了には至らず(しかもまた1冊増えてしまいました〜)。処理速度とバッファ増やしたいデス。
さてさて、こんなところ。後から思い返すとカオナシ、いい味だしてるね。ではでは。
第一水曜「映画の日」に映画館に行って”千と千尋の神隠し”を見てきました。古い建物ながら、音響にこだわりを持って映画館を選んでみました。やや自己満足の部類ですか?
大衆映画館はどこでもそうですが、劇場が暗くなるまで席でお煎餅パリパリ音立て匂い立てているのですが、幕が開くと水をうったように静まり返る。芸術、ではなく、身近に娯楽を楽しむやり方を心得ているのですね。
さて、ココからが題意に入ります。
人が生きる力。
ただそれだけの力。
多くの場面において、人は何より多くのものを求める。しかし、ただそれだけのために、置き場所を認めてもいいものがある、と思う。
そして言葉。
言葉は人類が築き上げた意志の伝達道具だ。だけれども言葉を使っても伝え難いこともあれば、言葉のもつ意味を軽く取り扱ってきていることもある。
私も先人に倣い、単純に一つのことをテキストに変換してみようと思う。
空間と一体になったように、スクリーンに没入した。見栄を掃き棄て、自然と全てを受け入れている。私は主人公千尋の表情の変化に心惹かれた。始めは怯え、人に頼り、うずくまる。しかし、ひと泣きした後、自立し、目的を持ち、他者を気遣う強さと優しさを持つようになる。開幕直後のずぶたれた顔がウソのようにキリリとした表情を見せてくれる。
自分の幼少期を動画にトレースしたのは私だけではないだろう。そんな機会を映画に重ねても良いと思う。私が父親になって子供が10歳になったら、この映画を一緒に見てみたいと思う。シンプルな一つのことを遺してあげたい。意志も言葉も世の中の有用な雑事にかき消され、意味にも気付かないで過ごしつづけるときだからこそ。
・・・トランス(主観)終了。
確かに宮崎氏が贈り物をしている年齢は10歳ごろなのだろうと推察できる。では大人と呼ばれる年代が見るものではないかといえば、そうではない。私はこの作品が、かつて10歳だったころの自分を思い出させてくれる要素をもっていると思う。記憶と思い出の違いのようなもので、機会に恵まれないと格納庫から記憶を引き出して再生できないのだ。こう書いて気づいたけど、ネスレのCMって、実は凄かったのね・・・。
そういった意味でも、主人公の成長物語を描いた作品だ、と結論付けたくない気がする。かつてのあの頃に引き戻され、銀幕が覆い隠されたときに余韻を味わって欲しい。これも私のファインダで見た主観でしかないが(しみじみ)。
娯楽作品としても優秀で、所々で劇場全体で笑い声を響かせました。動画の技術的なこととか、主題歌のこと、配役のことなんかも書き加えたいところだけど、今は一つを述べるだけで精一杯。メッセージ性は押し付けがましくないのだけれど、気になってメモリの整理してたら、書き上げるの遅くなってしまいました。ラストでなーんであっさり・・・したんだろう、と考えたりしてたので。
なので消化率78%。森文庫もまだ読了には至らず(しかもまた1冊増えてしまいました〜)。処理速度とバッファ増やしたいデス。
さてさて、こんなところ。後から思い返すとカオナシ、いい味だしてるね。ではでは。
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