◆雀の子を犬君が逃がしてしまったの◆
2001年8月8日伏籠に入れてあったのに・・・
これだけでお気づきの方も大勢いらっしゃるでしょう。ダイアリーノートの日記の名前に”つれづれ〜”等が多く見られることから、古文に親しんでおられる方の比率が高いと思われるので。
ハイ、源氏物語「あさきゆめみし」です。
ぶらりと立ち寄った書店で文庫本BOX購入してしまいました!中学生の時、高校受験の時、と、今回で3度目のマイブームです。同じ文献に触れても印象は変わる、というのを証明する形になりました。
以前から私は
「本などのメディアを通して、作者という人物を知ろうとする、または語る」
ことを視聴の目的にしていると記しています。この規則に則って読書を進めてきました。この作品の場合、上記の目的は既に前2回において達成されています。一時記憶の忘却率が2週間で50%、というデータを見かけたことがあるので、3回目の読書の時点で残存率は8%程度。ほどよく忘却していたわけです。
脳内シナプスを再結合させていく作業は懐かしさもあり、非常に有意な時間でした。この作品がキーワードとなって、当時の記憶を解凍して思い出を広げてくれました。あのころは図書館でブックカードを自分の名前で埋めるのが楽しかった。高校進学に伴ってバラバラになった中学時代の友人と図書館で一緒に受験勉強もした。図書館で借りたCDを何度も聴いて歌詞を口ずさんだり。
ページをめくるたびに笑みがこぼれていました。と、同時にその作業は現在の私とのエッジを際立たせる意味も持っていたわけで。文面から読み取れる以外の情報もロードしてしまうのです。光源氏はプレイボーイだなぁ、とか、田嶋陽子が女官だったら何をわめき散らすだろう、とか。いらん知識を持ち込んでしまったのかもしれませんね。
・・・それにしても紫の上は時節変わらず男性の理想像であります。えてして理想を語る時は「絵に書いた餅」なのは言うまでもありませんが。奥ゆかしく、気配りがあり、浮気に嫉妬する。そうかといえば天真爛漫な少女のように人を魅了する。
時代遅れと切り捨てるのは至極簡単ですが、私は遺す人の側となるでしょう。男女のいとなみを切り取った物語。人が地球の主人公である限り、悩みも暖かさも共通因子です。デジタルな単位に変換されても、誰かしらの人格に影響を与えつづけることでしょう。
さてさて、紀行文と思い出話はこれまで。次回は東京に戻ってドタバタ日記になるでしょう。もしくは近頃久しいバカ日記。少し、息抜きガス抜きしますかね〜。ではでは。
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