◆盂蘭盆の霊祭(たままつり)。◆
2001年8月14日皆様暑かったり涼しかったり時候様々でありますが、いかがお過ごしでしょうか。近頃精彩を欠く煎餅です。
この時期日本では、お盆。今日書くべきこと、書かなければならないと思っていることを記したいと思います。
昨日のオムレツの成功に気を良くし、今日はプラスαしてオムライスに挑戦。飯を炒めつつ、TVの音声を聴く。フジの「救命病院24時」という番組らしかった。聞きかじりで内容に言及するほどではなかったのですが、どうやら、「あと1日でいいから延命させてほしい」という親族の嘆願のようだった。
明日は15日。まさに盆の日。私の家では祖母の三回忌にもあたる。本来なら父方の実家に帰らねばならないのだが、都合を作っているためそれはできない。先週の遠出の途中で一時帰郷して線香をあげてきたことで故人にも勘弁を願いたい。本当に身勝手な振る舞いである、とは自覚している・・・。
祖母は、病院で身罷(みまか)れた。正月に顔を会わせ、そのすぐあとの検診で既に末期となったガンが発見された。医者曰く、「こんなに進行してたのだから、日ごろから痛みに耐えてたのだろう」と教えてくれた。いつもお餅を多く焼きすぎてしまうクセのある祖母だった。急ぎ帰郷し、病院に駆けつけたときには既に痛み止めのモルヒネを打たれ、寝ているだけの状態だった。
体は萎んだように小さくなり、何本ものチューブが体中に差し込まれていた。肌は暖かいが、息をしているだけ。何を語りかけても反応してくれない。
人の生命が尽きる瞬間、だと指から感じた。
日々は非情なもので、私は大学の前期試験のため東京の下宿に戻された。きっと、いいわけ、名分。近いうちに必ず来る、確実な不安から逃げたかった気持ちが無かった、とは言えない。そして、今度も理由を設けて目を背けようとしている自分がいる。
携帯に着信する、実家からの電話。
揺らめいていた火は消えたのだ。重い空気が受話器から溢れてくる。大学に再試験の届を出して、田舎に向かう鈍行に乗る。もう、急いで帰る必要は無くなってしまったのだ。アルミの窓枠を何も考えずに視界に入れるだけ。
家に帰れば雑事に忙殺された。祖父は喪主として振舞わねばならず、悲しむ暇も与えられなかった。気落ちして弱々しい祖父を、周りの親族が押し寄せる行事に駆り立てさせているのを見るのは気の毒だった。私も入れ代わり立ち代わり来客の接待をさせられ、通夜も葬儀もただ忙しかった記憶しか残っていない。故人のために昔に思いを寄せることができたのは、焼香のために列席した短い時間だけだった。
死ぬときには走馬灯のように人生を振り返る、と聞くが、残された家族も呆然とできるわずかな時間に想い出が流れ込んでくるものだな、と思った。
誰にでも平等に日は流れてしまう。
規則正しく太陽が東から昇り、私もまた日常が押し寄せる。毎年、この機会が無ければ当時を思い返すことも少ない。今回のように故人を偲ぶことが供養になれば、と考えキーボードを叩いている。身勝手な孫でごめんなさい、おばあちゃん。
突然帰郷するかも知れない、けど、明日は終戦記念日に関して書くつもり。独り言に付き合ってくださって有難うございました。ではでは。
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