◆切り取られた風景と一冊の本。◆
2001年8月15日具体<抽象。
何をもって「終戦記念日」のテーマとすべきか、悩む。出来れば、他の方と重ならないようにもしたい。たけっちさん、脱サラ受験生さんたちが既に整理されて読み応えのある文章を書かれているゆえ。終戦の定義について書くべきか。戦争(あるいは紛争)を終戦とさせることの困難さを開戦と比べて展開するべきか。どれを選択しても、自分の言葉で文字に起こすことが難しい。
そのため、リアルタイムに戦争を経験していない世代の私が当時の雰囲気に触れた瞬間を記してみたいと思う。
▼祖父の話
それは私がまだ幼稚園にあがったばかりの頃。祖父の家に母に連れられ遊びに行ったときの話。新聞広告の裏にお絵かきするのに飽きて、祖父のいるテラスに登っていった。祖父は盆栽を手入れしていた。長年丹精に育て、苔生した盆栽の味など、幼稚園児にはわかるべくもない。私は盆栽自体には興味は無かったが、園芸用のハサミを使うたびに発せられる、チョキン、という金属音のリズムに面白さを感じていた。
そのときの私は脚立の一番下の台に座って、祖父の後姿を眺めていた。祖父も私を無理に構ったりはせず、松の穂先をじーっと眺めて、意を決してチョキン、を繰り返していた。
私の記憶が、無意識の作用であっても、鮮明なのは、祖父の右手の親指が第二関節から無かったからだと今では思う。親指の付け根を上手くハサミのグリップに滑り込ませて握らせていた。
私は目で見て気付いてしまった。そして幼児ゆえの好奇心は配慮というものを知らなかった。至極当然に「なんで指が無いの?」と尋ねてしまった。祖父は「どこかに落っことしてきちゃったんだよ」と答えた。そのとき、祖父の顔が寂しそうだったか優しげだったのか、なんてことは小説ではないので分からない。私はふぅん、と首を傾げ、無邪気にも「どこに落としたの?」なんて言って困らせていたことを憶えている。
のち、自分で自分を律することが出来るようになった頃、祖母から祖父が戦争中にマニラで戦い、指を失ってしまったということを聞いた。
学校の授業で歴史を学んだ。人類の歴史は戦争とエアポケットの繰り返しだ、なんていう聞きかじりの知識で悟りきった振りをしていた小学生だった。現代史は授業時間の都合でいつも駆け足で撫でるだけで終わらせられていた中学時代だった。
自分から、祖父たちが経験した戦争に関心を持つようになったのは高校に入ってからだった。中学と違って多くの情報が右から左へと押し寄せてくる授業であったが、不思議と、今知らねば後悔するとの鐘を鳴らす心の声があった。
どのように現在の社会が出来上がったのか、を知るため世界史を選択した。山川の用語集での単語の重要度は、そのことがどの位現在の社会を形成するのに影響を与えたのか、だと考えるようになった。アンダーラインでピンクに染まった用語集が学部学科の選択に道を開いた、と思い返す。
史料を読み進めて、今では何が祖父の指を失わせたかを知るようになった。誰が祖父を南の島に赴かせたのか知るようになった。この国が大義と生存と虐殺を日本人に課したことを知った。
そして終戦。
英語の文献で、大きなキノコを出現させた国の視点を読んだときには、誰に何を言っていいのか分からなかった。
過去形は止める。祖父のことを書こう、と思ったのは朝比奈あすか氏の「光さす故郷へ」(リンク)を1年ぶりに本棚から出してみたことが原因。どちらも私にはうまく書けないのが悔しい。様々な要因が私をここまで導いたことは確か。
竜頭蛇尾・・・。
コメント