◆「空が落ちてくるんじゃないか・・・」、と貴方は憂う。◆
2001年9月18日▼曼荼羅SPI試験、実施中。
[問題]次にあげる左側と右側の語句が、[猫:動物]と同じ関係になるように、次の中からもっとも適切な表現を選べ。
[日本:
アメリカ、自由民主主義、地球人、オスとメス]
↑問題はただの鏡です(うわ、説教くさっ!)。
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一日分明けました。今日も手短に・・・行きたいところ。文章力があるかどうか、試される機会ですね。
本を読んでいて、ふと去来した固有名詞がありました。一時の感傷ではなく、埋没した何ものかをサルベージすることができれば、とテキスト化してみます。
“満州事変”、既に歴史というフィルタに洗練された事項であります。現在では、関東軍による奇襲攻撃に始まる中国東北地方への軍事侵略作戦(from 世界史用語集:山川出版社)という解釈が定着しています。
さて、この事変、ないし柳条湖(柳条構)事件、を狂言回しの手段として取り上げる理由は、このことが特例的な意味合いを持つからです。歴史とは勝者が地球上と人類に刻むことができる傷跡、であることは自明のことです。しかし例外的に、紛争の当事国以外のところが歴史の判断を下したのが、満州事変であったのです。
ご存知のとおり、南満州鉄道線の爆発の裁可を国際連盟日華紛争調査委員会の「リットン調査団」が下しました。日華いずれかの恣意によるそれではなく。結果、国際世論に背かれ日本は孤立の度を深め、軍国化の途を歩みました。
この例では現代の私達はフィルタに通された情報を取り入れていますが、精製されていない情報を実際目のあたりにしたときに、どのような判断をするのでしょうか。
実際、とはNYテロ事件を題材にするのは云うまでも有りません。今回のような場合、日本人を始めとする自由主義諸国はアメリカ合衆国スポークスマンをソースとする情報をメディアを通して受け取っています。この一意的なINPUTを問題としている批評家はしばしば見られます。しかし、裁可の部分まで一意に(そして無防備に)委ねていることを批評の対象にしている場面を見ません。
以前指摘したように、アメリカは味方陣営を囲い込みするシナリオを着実に進めています。これについては立場による行動原理が理論どおり働いている、というだけで良い悪いの判断の対象には(少なくとも私には)なりません。問題として考慮の対象としたいのは、「リットン調査団」的視野の有無です。
今回、警察と司法の役割は一元化されています。度々個人的発端からで申し訳ないと思うのですが、このようなタームだからこそ国際連合の役割が試され求められているのではないでしょうか。
杞憂ならそれで捨て置かれて構わないのですが、テロ事件の問題が現段階では報復を伴う「紛争」のタームに移行し、「戦争」段階も現実味を帯び、自由主義国とイスラムネットワークとの泥沼化した争い、にまで拡大することも視野に入ってきています。
紙上で「NYでイスラム教徒が暴徒に殺される」といった小さな記事を見つけてしまうと、日本人的な具体→抽象化の思考形態が適切ではないとは思うのですが・・・、どうしても隣人とのエッジを際立たせなければならないのか、と不安げになります。島国根性で観察していることを除いても、です。
「殴られたのに殴り返さないのか!?」と自身の検証作業でもノイズはあるのです。しかし、今回は「誰かに殴られたから、不満を解消するために目の前にいた人を殴り返した」ように見えて仕方ないのです・・・。すべてが私の勘違いであれば只々良いのですが。
こんなの読ませて本当にすいません。反省が次回に伴わないのも、あわせて謝罪。
えー、ではでは。
(読みづらいので9/26編集)
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