◆ 夢のつづき。 ◆
2001年10月1日▼
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内定式、出席してきました。
僅かな期待と多少の失望と、不確定な暗黒を垣間見させてもらいました。私の事例が世間的な一般例であると思うほどの確信はありませんが、簡素な会合を開いて終わりました。
人事部長のホントに簡単な挨拶。研修先の教育係の方。昨年入社された方の体験談。そして中途半端なグレードと味のイタリアン・ランチ。これらの不確定でバランス感覚の悪さが、これから何年かの私のビジョンを象徴しているかのようで、なんとも居心地の悪いことよ。
(憶測ですが)マリッジブルーの如きものではないか、と自己問答してみましたが、分析にはなっても不安を解消するまでには至らず。なによりも、「私がそこで働く姿」を想像できないことが不安のコアです。どの部署に配属希望を出すか、それの前提としての部課長からの情報を引き出せなかったということが、致命的とも言える、ミスディレクション。人事に「部署のOBに話を伺う機会得られますか」と訪ねたらかわされるし。
すべては落下のみの運動しかもたない、この雨のせいにしたいくらいです。
・・・えぇっと、なんと言うか。松屋でリーズナブル牛丼を懇親会の帰りに食べたら、“わかりやすい”切迫感が押し寄せてきて。スーツ着て290円の牛丼掻き込む、ドラマには絶対ならない悲壮感を。
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こんなときだからこそ、初心を思い出さねばいけない、との抗力を働かせねば。
以前、東京タワーの話を書きました。その頃はやすさん、トンネルさん、しかお気に入り登録無かったときです。お二方には、就活の苦労において、心の後押しを頂き、無形の感謝を顕したい、とまずはじめに。就活系日記に同じ横軸の共感を覚えて奮起させられたりもしました。私は社会のシステムを支えることを仕事にしたい、と願っていました。
これは人々の役に立ちたい、という外面的欲求であります。そして表裏一体となった内面的なそれも当然あります。あまりにも愚直で青臭いのでテキストとして外に出すことは避けていましたが、「社会の遺伝子を遺したい」と願っていました。メーカーを選んだのは製品に設計思想や使って喜んでくれる顔を想像すること以外に、自分が生きてきた証を刻みたいと。
「柱の傷」
幼児期の原体験に起因する、文字通り、幼稚な願望なのですけれどね、集約させれば。人生暇つぶし、いつか必ず死ぬ。自分の怠惰な面は反面教師でそう囁きます。ただそれだけではもう満足できなくなってしまったのでしょうね。
勿論、私の場合においてのみこの欲求ベクトルが有意なのであって、他の方の仕事に貴賎を付ける意図はありません。ただ、一生のうちでこういうことに思いを巡らせて、思いを吐き出す機会は今日のこの日にしかないだろうな、と確信があるのでテキスト化させてもらいました。バイトもそれなりに多く長くしましたし、転職も選択肢から外れたわけではありませんが、この種の心境を持てる唯一の機会だと、私は、思ってしまったので。
稀には。最近の日記でソースをビジネスに採っていたのは今日のための前フリというか憧れというか。今は親をはじめ、多くの人の仕事を見て知っていきたい気分が上昇してます。
薄っぺらい地表の上の、それよりほんの少し厚いだけの大気なんかに騙されて、何万年何億年も燃焼している太陽の存在を忘れるところでした。ではでは。
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