◆文系のための“炭疽病”〜。◆
2001年10月17日▼知らないけど。
サリーちゃんのパパとかバカボンのパパとか。
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眠気先行。
「しくじったなぁ」と思うこともそれなりに。多くの日記執筆者が“炭疽病”が“炭そ病”の表記を採っていることについて記している。旬のネタはその日のうちに話題にしておけば良かった、と少し自責。
「常用漢字ではないから」が事の次第であると知りました。同じことを再び述べても意味ないので、関連することを考えてみました。
ひらがなで書かれていることで印象が異なる、ってことありませんか?私は“いじめ”がひらがなであることに違和感を感じていました。なぜ“苛め(虐め)”ではいけないのでしょう。
ひらがなで記述すると漢字のそれよりもソフトな感じになる、という法則があると聞きます。感じだと難しくて硬い印象を与えるということなのでしょうか。そういえば私が有権者になってから立候補者告知のポスターを見るたびに、作り笑顔と名前がひらがな、いぶかしく感じていたのを思い出します。
このことが実証されているとすれば、“いじめ”現象はソフトな味付けがされていることになりますよね。被害者の過酷な実情を覆い隠すことに繋がるのではないのか、と疑問が湧きます。醍醐を食べたら豆腐だった。そんなすり替えにも似ているかもしれません。
逆に常用漢字ルールに従うべきところなのにわざと漢字を用いる場合は、事態を深刻に、センセーショナルに見せたい、という意思が込められていることになりますし。
関係ないけど“イスラミカゼ”っていう造語が最近できたと耳にします。イスラム+カミカゼ、自爆テロのことを指している言葉として使われるようです。そんな英単語を見てしまうと、不思議と日本の神風特攻隊の立場を斟酌しようとしてしまいます。日本のカミカゼは知っているのに、イスラムの自爆テロの内情は良く知らないのにも関わらず。
夏、靖国神社に行ったときに展示と図書館の蔵書で「戦地に赴く前に書いた手紙」を読みました。迫真的で命が込められたような手紙でした。展示プレートに何年何月戦死、と書かれているのを見ると、自分にも多分に右的要素があるんだなぁと感じさせられます。現在のアメリカの人々と同じように、イスラムの自爆テロを選択する人を単純に狂信者と見なすところでした。理由を完全に再現することはできません。しかし、もし知らんとすれば死を選ぶ末端の人の意志だけでなく、それを指導した上層の人のそれも読み取らなければならないでしょうね。それができるだけの中立に近い立場をとることが出来るし、プロパガンダのために一人の死をゆがめることにもなりますし。
まぁ飛びましたが、イスラミカゼなんて目を引く言葉に騙されないだけの観察眼を持ちましょう、ってことでした。
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話題になっている(?)森博嗣氏の「臨機応答・変問自在」ですが、偶然昨日再読しておりました。相当前の日記で書いたような気もしますが、学生のQに自分でAしてみる、そのあとで森氏のAを読んでみる、のが面白さのキモだと思っています。続編が出版されることになり、読者から森氏に答えて欲しい問題を募集するとのことです。自分で答えを見つけてみないと意味が無いことだとは思っていますが、村上春樹に聞くより森氏に採点して欲しいミーハー心も、正直、あります(笑)。募集ジャンルが設定されていなければ人生相談系が多くなりそうですね。
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ここ数日、図書館で寝てしまうことが多い。イカンなぁとは分かっているけど睡魔に勝てません・・・。マリナーズの試合を見てから再度寝ることにします。←こういうのがいけない!
誤字脱字、句読点の置き間違い、そもそも文章読みづらいなどの苦情はご自由に。ではでは。
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