▼終りなき道。

「生物は合理的な行動を採る者である」なんていう学者の言葉に苛立ちを覚えることも。時間スパンは1日?50年?1000年?あなたに矛盾は無いの?

↑あ〜、もう!

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22%陰鬱モード。

件の天才的友人にぶつけた疑問をいつの間にか反芻していたようで、漆黒の渦が巻いてます。高校のときから長期間に渡って私にネットやれよ〜、と勧誘していたほどPCとネットワークのスペシャリスト。そんな友人に“理系”という肩書きを冠してもらって“文系”って存在の奇妙さを聞いてみる。

というか私なりの結論をぶつけてみる。「文系ってさ、モノを安くするためだけの存在じゃない?」供給過剰だから営業するのであって、モノが必要な人は情報もモノも自分から手を伸ばすものだし。直接の需要がある人以外に売りさばくから、必要な人にとってモノを安くしているのではないか、と。戦争になったら始めに徴兵されるのは文系。人類の基盤形成の拡張面を担うだけだし、無くても血脈が絶たれるわけではない。

自身に理系コンプレックスがあったのも頷ける。そもそも15、6歳の文理選択の時点でここまで想定していただろうか。なんというか、目的意識がなければホントに無為な人生になるなぁ。上位互換とか言うなよー(でもこの言葉が転機になりました)。・・・おかげで数学のなかでも証明問題の面白さを思い出したり、抽象化の作業(変数nのおかげ)を観察眼に取り入れたりと試行錯誤したりしました。うむむー、どうやら自分に無いものを求めようとする欲望が私にはあるようですね。

こういうものが伝達されない人類のノウハウなのでしょうか。埋もれなかったら皆が皆理系や医師になったりするのか。だとしたら単純な愚かさの証明、になりますが。

こうやっておさらいしてみて、自分は答えを導き出しましたが、「あえて言わないこと」であるのかもしれないとも思えてきました。答えを伝達する行為ではなく、問題を発見する能力。今までノウハウとかハウツーと言ってきました。しかし、先駆者=遺す者という役割はどちらの世界に生きていても変わらない。っていうか早く気付け、私。

自己完結する葛藤でした。ふーーー(息を吐き出す)。その割には他人にいろいろ世話になってるなぁ。例の友人はRubyの取得も進めてるし、「最近はPerlとRuby扱ってます」、知らない人が聞いたら宝石商みたいだ・・・。DVD+RW(プラス)とマイナスがあるんですか、みたいな。こういう方面の接点だな〜。

事象を機能とか役割に分けるのやめようかしら。ではでは。



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