▼この雨で。

鎌倉の紅葉も終りかなぁ。今秋は行けなかったか・・・。

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気になっていることを放出。

・マッドビデオ
「ゴック最強伝説」、どこにあるのだろう?友人の家で見せてもらったのだが、ゴックがエヴァ零、弐号機を撃破して「さすがゴックの装甲」とか言うやつ。ご存知の方、ご一報を。


・原宿に・・・
留置場を建設するかどうか、で地域民と揉めているようです。都との協定も努力目標だし、地域のイメージダウンを体裁の効くスローガンで塗り込めている感があります。原発を若狭に押し込めておいて利益だけを主張、それはないでしょう。

因みにTVでは「留置場」「拘置所」「刑務所」の区別がついていない住民がほとんど、との結論を導いていました。犯罪者を抑留するわけではないのでイメージ面は悪くないと思うのだが。むしろ警察が近くに来ることにより治安、検挙率UPなどの実利面の恩恵が受けられると考えられるが、どうか。都心の一等地でも換金できない利益とニーズに応える意味はある。今回、都知事の圧勝かと。


・活字離れについて

「近年叫ばれて久しい」とされるが如何。どの時代と比べるかによって導ける結論には差が生じるが、「現在(’90後半〜)は逆の傾向が発生している」が観察されている。

端的に云うとインターネットに触れる機会が広がったことによって、活字に接する機会も広がった、と結論付けられる。通信インフラの貧弱さも手伝って、テキスト主体のWebを利用する人の底辺は大幅に拡大した。それに伴って、漢字を書けなくてもワープロ機能(Input Method)によって文章をおこす窓口は広げられた。また、携帯を主とするメール文化(といってもよい)によって多彩なテキストが世の中に飛び交うことになった。このDiaryNoteも同様に然りである。

先日「激突カンフーファイター」というもの凄いベクトルの本を読んだが、これは今までの書籍をモチーフにしていたら決して書けない文章である。現在の傾向として、「読書はしないが執筆はする」というのがあるように見える。情報ソースは本以外のメディアでも全く構わないわけで、編集者にとっては新鮮な文章に触れる機会が増えたという。逆に考えれば、活字離れを叫び且つ憂れいている人というのは、ペーパーメディアにこだわりと伝統的な書籍情報第一義としている種類の人だと考察される。

自身の人生の長さでペーパーメディアのコンテンツの傾向を計ることはできないが、確実に10年前とは程度と質が異なっているように感じる。良いとか悪いとか、は除いて。

ただここまで書いた者の役割としてデメリットも記しておこうと思う。読み人不在の文章であったり、同意・共感を前提としているそれであったり、意志のキャッチボールを一方的に妨げる、といった傾向もあるのは否めない。“引用>”によって流れがコロコロ前後左右に転がるのも、功罪半ばであろう。


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Webに全ての文章がhtml化されるのはいつの日か。その日まで上記の考察が意義あることを望む。たまには秘密メモも活用してみるか、ってわけでゲーム編は下記に。


ではでは。



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