◆モチーフを食い潰すパロディ!?◆
2001年11月12日▼今日の過去ログ。
「昨日の反米デモにはたくさんの人が参加、タリバンを連呼して盛り上がりましたネ!」報道陣の一人が言う。「??あの街角には、何時も身動き出来ないほどの人がいますヨ、わざわざデモのために参加した人は極わずかで、後はあの周辺にいる人達が盆踊り感覚で混ざっているのですヨ。暑くもなく寒くもなく、素晴らしい天気ですから」
↑日本の報道スタッフと在パ日本人との会話。
********************************************
時系列的には前のことなのですが。
・テクモ、「デッド オア アライブ2」の著作権侵害でデータ改変ソフト製造業者を提訴(by Gamewatch)
ちょっと気になった点が興味心とリンクしたもので取り上げてみます。12日付の日経新聞に「著作権保護機能を無効化させるプログラム、それを示した論文、の公開禁止」云々についての記事があります。ソニーのAIBOを制御するプログラムを改変してダンスを踊らせたりできる、というものを主な題材にしていました。
文中では(至極当たり前のことなれど)オープンソース化によって技術の進展が見られる面もある、ことを指摘していました。もしコチラの経営戦略を採るのならば、商品の利益を生み出す関係の権利だけは手放してはならない、と述べています。
ややタイムリーに見えたので二つの争いをリンクさせて考えてみました。導くべき結論は「どこまでユーザーあるいはパブリッシャーの管轄か」ということだと思います。単純に線引きの問題。前提としてユーザーには私的に楽しむぶんには許される範囲があり、また、社の利益に結びつく部分においては放置(日本人は黙認と呼ぶのを好む)する範囲があることを確認しておきます。
私には自身の興味を解消させるほどの知識がないので過去の判例を持ち出して語ることは出来ません。しかも両者の立場がそれなりに分かるだけに、一方に寄って理由を後付けすることも適いません(脳内で両者のディベートはしますが)。ただ、近年の判例に軽く目を通してみて、時代を感じさせる潮流を感じました。
結論をズバリ言ってしまうと、「宿主を殺す寄生虫が出てきた」になります。
被告ウェストサイド社は、今回の事例では、原告テクモ社に依存した事業経営をしています。仮に被告が“データ改変擁護”の肩書きを冠するとすれば、その勝訴がすなわち宿主テクモ社の権益の減退を意味することになります。オリジナルよりパロディが保護されることになるからです。いずれは縮小再生産(利の無いところに新規参入はありえないため)の繰り返しの末に業界は減滅するでしょう。
別段こんな症例は珍しいことではなく、エンタ以外の業界でもパイを食い潰すために頻繁に行われています。オリジナリティのある商品は誰かに真似され、陳腐化させ、その分野を荒らして終末に至ります(懐かしいところでハチミツレモンを挙げておきますか♪)。
リスペクトの伴わないパクリ。縮小再生産だけでなく、オリジナルから受け取った利益を還元する仕組みは、やはり目先の利益を求める者にはありえないのでしょう・・・。原告のみにおける場合においても同様で、続編ばかりで常連客へのアプローチばかりに終始する近視眼も指摘されるべきでしょう(“利益率”に関していえば大正解なのですが)。新規開拓はコスト回収難しいですからね、斟酌いたしますが・・・。
提案としては、モチーフとなる生物学見地と同様、「共生関係を保てないだろうか」になります。許認可を受けた、本家とは違った楽しさを提案できる公式のパッチをリリースする業務形態や、(共生というより癒着というべき)出版社との関係の見直しなど(←逆アセンブラした攻略本多すぎません?)。ニッチ的に利益を生み出せる部分はまだまだ残されていると思われるのですが、どうでしょう。DoA2について云えば確信犯(意味上の“故意犯”)的キャラクタ設定なので難しいですが。
モチーフがある作品を好まないとかそういったことではありませんが、志の無い作品は評価できません。その意味でオリジナルを生み出せる人には憧れる次第であります。
この文章はモチーフとなった記事の価値を高める志はあるでしょうか?評点は他者が決めることでしたね。ではでは。
コメント