◆きるたいまー。◆

2001年11月22日

▼目盛りは振れましたか?

「へ〜、東京だとマックでカフェできるんだぁ」
「すごいだろ〜」

↑あんたが凄いわけじゃない。

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小休止していた小説を再び読み始めました。

年明けくらいまではあまり頻繁に読むわけには行かないだろうけれど。しかも読むといっても、いつもどおり、電車の中でだけでありますが。何と申しましょうか、この日記の中では読書話が多かったりしますが、読みこなしているというほどの冊数はこなしてないと思います。勿論、平均読書量のデータなんか持っていないのであくまで主観評価ですが。

最もルーティンワークに分類される確率の高い“通勤・通学電車”の時間ですが、実のところ皆さんどういった過ごし方をされているのでしょう?都心や地下鉄などでは外の風景を眺めようにも一面装飾のないコンクリートで囲われているわけですし。せめて、僅かでも、歳時記の機微を感じられるものでもあれば呆けていられるのになぁ、と感じています。特に地下鉄だと眼前を流れていく壁面との距離が近すぎるので、目が疲れやすい傾向がありますよね。

また、車中で人間観察する、という人も増えているようです(伝聞)。客観性を高める訓練かなと想像してはみましたが、矛盾も多い作業。自分のことにフィードバックされない政策は意味ないしなぁ…。車中での定点観測は何を何に変える性質を持つのでしょう??実は野鳥の会みたいなものだったりしたりして。

いくら本を読んだり音楽聴いても、所詮は時間つぶし(人生暇つぶし、とまでは発展しませんよっ!)。そういった性質のものであるのならば、消極的な選択肢として読書を選んだことは別段のことはないことになります。

…と、ここで弛緩させておいて一気に緊張に持って行くのがセオリー(←ネタばらし)。何故私は家の中では読書に時間を割かないのか、と考えてみたところ一つの答えに行き当たりました。上記のような車中の場合、「キルタイム=ぼ〜っと読める」ことがあると考えられます。一方、家で読む場合には「読まねばならない場面=目的意識を持って読まねばならない」ことが挙げられると思います。つまり、20数年の生活環境の中で、「家の中ではゆったりするものだ」という脳内ルールが構築されていることになります。

ドアを開けて、靴を脱いで、シャワー浴びて、着替えて。その過程を経ると戦闘モード解除しちゃってるわけであります。…ははあ、なるほど。今更ながら自己分析できたので、これからは卒論とかそーいうのは図書館でやってしまおう、そーしよう。

こういったキルタイムの時間帯は、脳内ルールが活性化しない、起床時にもあります。頭を働かせるつもりがないからTVニュースの話題が頭に無遠慮に入ってきます。通学・帰宅時と同様、思考実験するチャンスが、図らずも、生まれてきている…ようです。

日本の国会議員が腐敗から免れ得ぬ理由とか、そういう論理関係を追ってみたり。国政と利益誘導を切り離すためには…、とかそんな必然をね。

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あんまりカタイ話もアレなので。

コミック「魁!!クロマティ高校」第三巻購入。ぷらりと手に取りレジに向かおうとしたところ、ふと同書の“限定版”があるではないですか(←有るのか無いのかハッキリしたいね、この表現)。メカ沢の携帯ストラップ付くと+410円…。え〜と、やっぱりいらないです……通常版で。


金狼感謝の日。松田勇作リスペクトな日です。ではでは。


>りるさん
シンプルライフ話や図書にまつわる話を拝見してお気に入り登録させていただきました。


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