◆記憶の印画紙。◆
2002年2月1日▼写真にまつわるエトセトラ。
シャッターをきることは、路上でキスするくらい恥ずかしい、と思ふ。
↑古風であれ。
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飲みの日(第一日目)。
ゼミで行う最後の飲み。学生の身分のうちで、という意味で最後のものになろう。夏辺りに同窓会&愚痴会も兼ねて執り行うものになるでしょうけれど。
とりあえず、情報交換。皆、研修と卒業旅行の調整に関心が高い。アメリカ東海岸、東欧、パリ、等その人の今までの会話から「なるほど」と思われる土地が挙げられてくる。アルコールで赤らめた顔から相槌なんぞを打ち、地ビールをさらに飲む。一方、内定先の企業の話も当然話題に上る。デフレ、不況。それさえ述べておけば会話に参加した気になれる、便利なキーワードに成り下がっている。去年就活した人間はそれが“当たり前”になっている。唐揚げを摘まみながら「この状態が私の基準点なんだ」、と決意する。かつて有った栄華の時代に、私は何も関わっていないのだから。良くも悪くも、この時点が(x:0,y:0)としよう。
今年は変則的で、実質ゼミの中に2つのサークルが出来てしまっていたような状態だったが、今回でやっとその垣根は取り払われたかのよう。勿論、遅すぎる。そんな指摘は重々承知なのであるが。ゼミのディベートで意見を直接交えたり対立したこともない人が、実は同じ系統の読書をしているのを知る。ハァ、何やってきたんだ私は去年。有志でサブゼミ開いてきたこともあったが、両腕でカバーできる範囲の人にしか貢献できなかったのか、と懺悔の念を抱く。サワー片手に仮面の笑顔作って。ホント、何やってんだか、私は。
教授からは卒論の添削を頂く。赤く訂正がまだまだ入っている。「着眼点と論の展開は面白いが・・・」云々、まったく指摘が痛いほど身に刺さる。真っ向から持論を戦わせたこともあった教授だったが、一度として勝てなかったようだ。卒業しても追いつづけていく題材になろう。それにしても1人の生徒のために時間と労力を割いてくれたのは、ビジネスを超えて、有り難いことである。総会で裏方に徹して仕込みをして、教授の笑顔を引き出せたことが今回、何より私の報酬か。
飲みの後、また皆でゼミ生の家へ押しかける。単純に楽しい。笑い死ぬくらい。きっとこの馬鹿騒ぎが数ヵ月後に“思い出”に認知されるのだろうな。確信的な予感。
自分が居たことで、誰かに何かの影響を与えていただろうか。誰かを幸せに出来ただろうか。私は変われた?
総決算の走馬灯。ではでは。
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