ただいま帰宅。

…いつのまにか(否、必然)一週間も日記をサボり。季節は巡るよ〜どこまでも〜、など嘯けばどうにかなる類のことのように置き去りのままでありました。

かきたいことは幾多あれども、私の記憶容量が新しく来る日たちにスライドされていく感触もまた有ります。急いで記憶を放出しなくてはなりませんね。取り急ぎ、記憶整理のメモ書き。

4/30
煎餅、子供に戻る。
5/1
ハードウェアと身体感覚
5/2
飲みと同期仲間のこと
5/3
甘くて大きいもの。
5/4
コンタクトの話
5/5
森文庫「そして二人だけになった」読了。
5/6
電車内における集団的更年期女性の行動観察


う〜ん、10分で書けるかな…。チャレンジして記憶を紐解いてみましょう。


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電車の席に座るやいなや、なんと“寿司”をほおばりだすオバさま連中。突然の酢飯の臭いに顔をしかめ、流れる汗にポマードを溶かし入れることしかできない男性客。新聞を広げて臭気の接近を防ごうとする同乗客。我慢も抵抗も、徒労に終わるであろうことを予想するだけで体力30%減退であります。

折角なので(正確には“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”でありますが)、彼女らの生態を観察。隣で文庫本を読んでいると思っている彼女らにしてみれば、ささやかな抵抗もどこ吹く風、でありましょう。繰り返し繰り返し世間で取り上げられてきたテーマではありますが、私も一枚貢献してみましょう。

まず、最初に考え至るのは、「青少年のモラルの低下」を疑うに十分な大人の行為でしょうか。青少年の件が物理的圧迫を伴うものであるとしたら、彼女らのそれは精神的圧迫。ウソでもモラル崩壊のサイクルが若年層から始まった、とは主張することはできません。瓦解は既に身近な(そして見失いがちなほど近く)所から始まっていたのであります。

…無理に関連付けるのも難儀なので観察に戻りましょう。

私がこの観察で興味を惹かれた事例は二つ。それには一つの共通点がありました。電車内でたまたま私は“屁理屈の本”(←タイトルではなく、主旨が)を読んでいて、不覚にも笑いを漏らしてしまいました。すると突然彼女らは会話をピタリと止めたのです。そして軽蔑の視線。あぅあぅ、痛いです。彼女らは弱いものにはトコトン強く出るようです。

もう一つは電車内で携帯電話のコールがなったときです。電話で話し始めたその人が、英語で会話を始めたのです。またもやピタリと声が止み、視線をその人に移します。今度は畏怖の目です。外国語アレルギーです。日本人であったために不意打ちを食らったために効果はテキメンです。ああ、強いものには下手に出るのですね・・・。

まずコトの発端に不愉快なことがあったために分析は否定的な方向に持って行っていることをまず述べておかねばなりません。「あまり本気にしないように」という建前かつ言い訳ですので、こんな但し書きも気にしないように。


むぅ、15分かかってしまった。そんなこんなで時は積み重なる。


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