充実度30%、疲労度66%。でもでもっ、大脳だけをスタンバイ状態にして体をスリープさせる方法実行中。名付けて電車睡眠!(そのままやね)

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「クビキリサイクル」西尾維新著、読了。

森文庫じゃありません。全く関連性はありません(しいて云えばメフィスト賞受賞作ってことくらい)。何故この本を読むようになったかというと、“書店で立ち読みツアー”(勝手に決行中)で、表紙のイラストと本文に新鮮かつ溶け込みやすい印象を感じたから。近頃の読書(orエンタ業界)履歴を振り返ってみると、ミステリィ・ジャンルの占める割合が大きくなってきてしまっている。殺人と密室のカラクリに特に興味を置いているわけではないのに…。もう森博嗣の著作を読み進める中で、ノベルスサイズの本を電車の中で読むのに慣れてしまった、というのが本音であります。掌へ収まる大きさ、ページのめくり、上下二段の視線の動かし方、ルーティンワーク化させるには十分の要素となりえるものですから。

言葉遊びというには幼すぎ、韻を踏む…とまではいかず。やはり“戯言遣い”が適役なのかな、と思える文章の並べ方。練りこみが足らないという意味でなく、先鋭的なリズム感を与える単語たち。そんなミクロの積み重ねのおかげで一冊をまるでお気に入りのポップスを聴くかのように読み終えることができました。

いつものようにページの端を折って気になるところをチェックしました。しかし今回は森文庫のそれとは方向性が異なります。森博嗣の文章に「問題の公式」を読み取っていたとすれば、西尾氏の文章からは「解法を閃く瞬間」を読んでいたとすることができるでしょう。もともと立ち読み段階から森文庫系の定規を当てて面白さを計るのはナンセンスだろうなぁ、と感じていたために、固定観念からの作品性への関与はほぼゼロに抑えることができました。

この本には「天才」と呼称される人が大勢登場します。しかし、作者があとがきで述べる理由以外にも、彼らが「天才」に非ざる人間であると思えます。語り部たる主人公のパーソナリティとバックグラウンドは巻を追って明らかになるものとはいえ、「才人」はいるのに「圧倒的才能」(=天才)は出現しないのです。登場人物の才能と才能を比べる場面がないことと、ベクトルの違う才能を一緒のパレットに入れて描いているためです。これは「こうあってほしい!」というものではありませんが、問うた者が問われる構図を隠喩させるものでありました。自分で書いて、自分のために代弁させるものではないのですから、当然といったら当然でしょうけれど。

この作品の最大のウリは前出のリズム感とエンタテイメント性です。TVプログラムや映画・音楽と向こうを張って勝負できるマスアイテムだと考えます。「楽しめた」満足度は読了後の他のエンタ作品と比べても高いです。個人的に疲労した頭でも、まるで甘いものは別腹とでもいうかのように、読書が進むのがいい感じです♪個人的に価値を金銭換算すると1320円。つまりは満足。ごちそうさまナリ。


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