◆桜花の嵐(ヒカル/碁)。◆
2002年9月10日>>「ヒカルの碁」が支持される理由
主人公に碁を教える“佐為(サイ)”というキャラクタの存在を、上手く用いているため。その価値とは「子育て・親離れ」のプレイロールをメタファなテーマにしているため。
子(ヒカル)の成長に心躍らせつつ、親(佐為)の出番が減りその役割を終焉に近づけつつあること。いずれ親は“子は己の分身ではない”ことを自覚せねばならない。…そんな終局への道筋を歩むような哀れさを発している。キャラクタが平安時代をモチーフにしているのはそれと偶然ではあるまい。
「儚さの文化」
桜しかり、花火しかり。日本人の郷愁を呼び覚ますスクリプトが世代、歴史へと受け継がれていくのですね…。それ故、囲碁という古い題材を掲げているのにも拘らず、私達に鮮やかで伸びやかな生命感を感じさせるのだ。
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(第六巻まで読了)
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