のっけからコレです。

「…そういう数字に表れない、温かみだと思います。もっと健康に良い、木の本来の魅力みたいな」
「実体がないものを望んでいるよいうだね、それではまるで幽霊屋敷だ」
「でも、現代は、そういうフィーリングが求められていると思うんです」
「うん、それはあるかもしれない。いわゆる、気のせいってやつだね。しかし、エンジニアとして、そういった迷信を追い求めることは問題だと思うな」

森節炸裂(?)。

■森博嗣著「アンチ・ハウス」、読了。

 森氏自宅の庭に車庫・工作室としてのガレージを建設するまでの顛末記。一般的、という意味を"市民的"と呼称してみたりするあたりから天の邪気な性質が垣間見えておりましたが、それは実は「世間での絶対的な"善"に対しての疑問」の表れであるとようやく分かってきました。そのような主張を体現するかのように、ガレージにも『南向きの窓をもうけない』、『物を納める収納スペースを考慮しない』、など一見奇天烈な建造物になっています。しかし、全てには既存の"妄信"に対してのアンチテーゼとしての理由が一つ一つ述べられていました( 前記なら、夏の日差しの断熱であり、見せられないインテリアは買うな、であったり)。

 また、大半の文面が建築家と森氏(施工主)とのメールでの往復書簡、という形で占められています。両者の会話のキャッチボールで建築上の主題についての力点が移り進んで行き、テキストの向こう側に強弱の心拍図が見えて来るかのようです。

 とはいえ、読者煎餅はいつもどおり気に掛かるセンテンスを拾い出すのには変わりなく。「便利になることで失われるものなどない」、など、やられっぱなしであります。

 そのような形で読んでいくと(一般的な読み方なのか、斜め読みなのかは存じませんが)、実は建築の技法よりも、建築制度上の折衝に比重が移っていくことを知らされます。四角四面な役所の対応に正攻法で確証を求める森氏。その根底には、高尚な思想・意義を持って生まれた法律(本文では条令)が制度ばかり肥大化して、肝心の条例の果たすべき目的、を蔑ろにしていることへの強烈な批判があります。他のどの業界にも当てはまることと思いますが、手順・手法ばかりが形骸化して残っていることが障害を招くこと。例えば「前年比xx%の成長」といった、拡大を前提とした経済論理。多く消費すれば、より大きくなる。経済はよく生物に例えられるように、確かに人間も成長期には多く食物を採れば、より大きく育ちます。が、中年期になってもそのようなエネルギの採り方をしていれば、体のあちこちに故障を発生させます。…わたしにはそのような一般解を述べているように聞こえました。

 上記、興味を持たれたならば、P213〜の文章をご一読を。ハッキリ申し上げて、この本はその4ページのためだけにあると云っても過言ではないでしょう。私的価値780円。高額なりのリターンを望むのは本書だけでは難しいです。が、文中の尖ったセンテンスから興味を広げられる要素を多分に含んでいますので、興味を結びつけて広げられる人なら+α、かと。かく云う私はZOMETOOLにぞっこんになりそうです…。
http://www.ejisonnotamago.com/zometool5.htm

 はんなりと。ご自由に。

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