◆時を閉じ込めた人形たちの祭典(球体関節人形展)。◆
2004年3月21日 晴れ、ほのかに肌寒い日。最終日になってようやくお出かけ、球体関節人形展@東京都現代美術館。人が詰め掛けるのはご愛嬌。入場を待ちながらの人間観察で『押井守フリーク』度数や、『ゴスロリ』度数が濃いのも……ご愛嬌?
映画「イノセンス」からの興味の延長で来てみました。押井監督の思想をトレースするのも興を覚えますが、静物をじっくり眺める機会は久しぶりですので別段意識せずに挑みませう。
全体を眺めてみての所感、「人形とゴシックとの親和性」を覚えました…。これまで特別な感情をもってゴシック様式について考えた事はありませんでしたが、定義を試みると…
「社会性を排したミーイズムかつ、切り取られた"時間"に漂う概念」
…主観的な感情から導けるのはこの様なものでしょうか。その効用から、身体が成長しきった大人の視点からの「少女幻像」にイメージが結びつきやすいご様子です。故に耽美とかロリータであるなどのムードを人形に表現させるのではないか、と想像しています。
ただ、直喩的にモノクロのフリルな服飾を被服させることに繋げるのは、知性の限界を感じさせ、趣深く無いように感じます(個人的主観)。あくまでも台座やタイトルを含めた"作品"から、ゴシック的な色香を受け手自ずから嗅ぎ取りたいものです。映画と違って、座しているだけで情報を与えられる種類の芸術ではないわけですし。
そんな四方山(よもやま)ごとを抱えながらオブジェクト一体一体を眺める。科学的な観察考とは異なり、備考欄を埋めるような所感を、幾らでも抱いていいのが嬉しいところ♪興味を覚えた作品は…
■「(タイトル不明)」:秋山まほこ作
カタログに記載のない、食卓の下で戯れる少女。金魚が黄泉と現世を行き来しているようで不思議な空間。
■「乳母車と少女」:山吉由利子作
人形が人形を乗せた乳母車を押す。シュールな光景であるはずなのに、無垢なのか達観したのだろうかと受け手を眩惑させる首の傾げ方に畏怖。
■「人形V 永遠の少女」、「人形IV 永遠の少年」:山本じん作
並列して展示してあったので、恐らく二体で一つの作品と見なすべき物でしょう。少女は左手に赤い果実を掴み、不敵な表情を湛え、一方少年は驚きに満ちた表情を見せているように見えます。禁断の果実は、イヴがアダムに食べさせたのでしょうか…。
■「Requiem」:恋月姫作
ゴシックを象徴した、少女と時の止まった箱。所謂棺桶でしょう。側部に悲しみに満ちた両親の、永遠を望む姿が聳(そび)えているように感じます。
■「あけ」:中村寝郎作
すけきよ。
■「無題(ブランコに乗った、赤い和服の少女)」:吉田良作
映画『イノセンス』に登場するセクサロイドの元になったであろう、黒髪の少女。黒いガーターストッキングを使わなくても、妖艶なゴスロリを体現した完璧な作品。また、球体関節を用いているため、ポーズ次第で様々な表現ができるのだなぁ、と息を呑んだことを告白しておきます。購入するには8桁は用立てないといけないのではないでしょーか??
■「闘病日誌」井桁裕子作
腫れ物も社会的な人間性も、人から生まれて人に出でる。
■「まるいもの」伽井丹彌作
何が丸いのか、それは丸くなかったものが丸くなって行くものなのか。また、指先や脚部関節、臀部など、ギミック的にも面白い。
■「ホリゾンタル・スライス」片岡昌作
科学未来館なら、存分に触って遊べます。脳漿のスライスも断面を拝めます。頭のてっぺんから棒を引き抜いて達磨倒し……。いえいえ余談です。
■「Twins」よねやまりゅう作
双子は分派する。コアは一緒。素材は同じでも生きる方向によって二人は遺伝子から独立する。
パンクのように社会に依存した上で反発するのではなく、あくまで人を模して人を嘲る人形たち。ガラスの目玉の向こうに意思があるとすれば、人形たちから私たち人間はどのように映っているのでしょうか?
映画「イノセンス」からの興味の延長で来てみました。押井監督の思想をトレースするのも興を覚えますが、静物をじっくり眺める機会は久しぶりですので別段意識せずに挑みませう。
全体を眺めてみての所感、「人形とゴシックとの親和性」を覚えました…。これまで特別な感情をもってゴシック様式について考えた事はありませんでしたが、定義を試みると…
「社会性を排したミーイズムかつ、切り取られた"時間"に漂う概念」
…主観的な感情から導けるのはこの様なものでしょうか。その効用から、身体が成長しきった大人の視点からの「少女幻像」にイメージが結びつきやすいご様子です。故に耽美とかロリータであるなどのムードを人形に表現させるのではないか、と想像しています。
ただ、直喩的にモノクロのフリルな服飾を被服させることに繋げるのは、知性の限界を感じさせ、趣深く無いように感じます(個人的主観)。あくまでも台座やタイトルを含めた"作品"から、ゴシック的な色香を受け手自ずから嗅ぎ取りたいものです。映画と違って、座しているだけで情報を与えられる種類の芸術ではないわけですし。
そんな四方山(よもやま)ごとを抱えながらオブジェクト一体一体を眺める。科学的な観察考とは異なり、備考欄を埋めるような所感を、幾らでも抱いていいのが嬉しいところ♪興味を覚えた作品は…
■「(タイトル不明)」:秋山まほこ作
カタログに記載のない、食卓の下で戯れる少女。金魚が黄泉と現世を行き来しているようで不思議な空間。
■「乳母車と少女」:山吉由利子作
人形が人形を乗せた乳母車を押す。シュールな光景であるはずなのに、無垢なのか達観したのだろうかと受け手を眩惑させる首の傾げ方に畏怖。
■「人形V 永遠の少女」、「人形IV 永遠の少年」:山本じん作
並列して展示してあったので、恐らく二体で一つの作品と見なすべき物でしょう。少女は左手に赤い果実を掴み、不敵な表情を湛え、一方少年は驚きに満ちた表情を見せているように見えます。禁断の果実は、イヴがアダムに食べさせたのでしょうか…。
■「Requiem」:恋月姫作
ゴシックを象徴した、少女と時の止まった箱。所謂棺桶でしょう。側部に悲しみに満ちた両親の、永遠を望む姿が聳(そび)えているように感じます。
■「あけ」:中村寝郎作
すけきよ。
■「無題(ブランコに乗った、赤い和服の少女)」:吉田良作
映画『イノセンス』に登場するセクサロイドの元になったであろう、黒髪の少女。黒いガーターストッキングを使わなくても、妖艶なゴスロリを体現した完璧な作品。また、球体関節を用いているため、ポーズ次第で様々な表現ができるのだなぁ、と息を呑んだことを告白しておきます。購入するには8桁は用立てないといけないのではないでしょーか??
■「闘病日誌」井桁裕子作
腫れ物も社会的な人間性も、人から生まれて人に出でる。
■「まるいもの」伽井丹彌作
何が丸いのか、それは丸くなかったものが丸くなって行くものなのか。また、指先や脚部関節、臀部など、ギミック的にも面白い。
■「ホリゾンタル・スライス」片岡昌作
科学未来館なら、存分に触って遊べます。脳漿のスライスも断面を拝めます。頭のてっぺんから棒を引き抜いて達磨倒し……。いえいえ余談です。
■「Twins」よねやまりゅう作
双子は分派する。コアは一緒。素材は同じでも生きる方向によって二人は遺伝子から独立する。
パンクのように社会に依存した上で反発するのではなく、あくまで人を模して人を嘲る人形たち。ガラスの目玉の向こうに意思があるとすれば、人形たちから私たち人間はどのように映っているのでしょうか?
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