■相田裕著『ガンスリンガーガール 4巻』

■第18話「Tiny joy , tearless grief」

 小技を散りばめ合わせ技一本。元担当官との思い出をひしひしとなぞりつつ、日々の大切なものを暖めていく。タイトルインデックスそのままの直喩な感想。

■第19話「ミミ・マキャベリ」

 擬体の、担当官への隠れた慕情を綴ったお話。兄弟関係という言葉で抱く気持ちをすり替え、自分を騙そうとする細やかな仕草がいとおしい。担当官からの眼差しは第22話にて語られることになる。

■第20話「トスカ」

 擬体リコの純真無垢な面と、戦闘マシーンの一面を、鮮やかに、そしてオペラ「トスカ」の波乱な人生となぞらえて描かれる。「歌に生き恋に生き…」に一番縁遠いリコを中心に置くことで、恋少女ヘンリエッタと達観お姉さんクラエス、記憶の忘却アンジェリカの脱力を対比する構造に成功している。

■第21話「賢い蛇、純真な鳩」

 京都で例えるならば(?)、賀茂川ほとりに腰掛ける人たちの間隔を説いたストーリィ。脇役ながら毎度プリシッラさんにはキーワードを語ってくれます。兄弟(like)と恋人(love)の間は如何ほどの断絶があるのだろうか。

■第22話「She is a flower that blossoms in bona fides.」

 この話だけで1000円分。あるところからの引用に「天使は掃き溜めから生まれる」とのフレーズを思い出します。ヒルシャーがトリエラ嬢(←別格な呼称♪)の担当官になるまでの過程を描くお話。この2人の間隔は不自然なほど物理的に離れている。机しかり、ガラスを隔てたオペ室しかり。だが、心の芯では確かな繋がりを持ち、信頼あるコンビである証左が緻密に描かれている。今は亡き女性の面影を通してヒルシャーはトリエラに、トリエラは夢見を通してコンビとして結ばれている。

 ベテラン担当官っぽいヒルシャー氏の青臭い志と、同じく青臭い手法で信じる正義を実現しようとする過去のエピソード。強く汚くならなければ天使の矢は射れない…。

>これまでいつも先手を取って敵を圧倒してきたようだな。
>だから突然主導権を取られる戦いに慣れていない。
ぎくり。企業ってそんなもんよ。

■ちょっとよもやま話。

 高いレベルでストーリィと見せ方がまとまった作品。このような高品質なものが、ページ枚数×規定単価のフォーマットに乗せられて流通していていいものだろうか。漫画という表現手法でマスマーケットにリリースする場合で、他に存在するフォーマットがないのを問題視してもいいと考える。

 画集や展覧会などでは作品相応の値付けができる。しかし漫画作品そのものに本来なら対価を支払いたいところ。部数が伸びるか、出版される漫画は宣伝アドバルーンと割り切るか。どちらかしか著者には選択肢はないのも現実。

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