◆リスクの所在。◆
2005年9月7日
にわかファンライダーなので、雑誌は立ち読みです。
「ロードバイクとマウンテンバイク、どちらが危険か」、という記事に興味を惹かれています。路面が不安定なので一見マウンテンバイクの方が危険度は高そうであるが、ロードバイクは事故にあうときのほとんどの場合は他者の介入が原因なので、こちらの方が危険度は高い、と云う結論でした。
掲題を抽象化するならば、「Own-risk」と「Someone-risk」、どちらに問題が存在するか、ということになります。
題材となった自転車を例に取りましょう。山中で自転車に乗るときには己の判断でルートを選び、転ばずに進めるかどうかがその判断に対する評価となります。そして判断の結果、自分の実力では乗り越えられそうに無いな、と思えば降りて押すこともできます。つまり自分の判断だけで、全てのリスクは回避可能な訳です。
一方、舗装路を走るロードバイクでは、自動車の挙動や歩行者の飛び出しをはじめ、自分以外の引き起こす要因でリスクは刻々ともたらされます。安全側を見込んだ運転をしていてもゼロに抑えることはできません。
一人で完結する業務ならOwn-risk、誰かが介在する(パートナーやユーザなど)業務ならSomeone-risk、と結論の方向を延ばすのなら以下のようなことも云えるのではないでしょうか。
「マイペース」という言葉が会話文中で用いられるとき、その意味は「スローペース」という似て非なる意味で解釈を求められる場面の方が多いと経験的に覚えます。自分だけでリスクを負える文脈ならともかく、進捗に影響するボトルネックとなるような文脈でも散見されることがあり、悩ましいところです…。
また、昨年議論の対象となった「自己責任」論についても同様に、抽象化した法則が適用できるのではないでしょうか。年齢を重ねるにつれて自己責任の範囲は広がりますが、それと同等の広がりで、自分が歯車を止めてしまうと全体の工程に影響してしまう機会にも手を付けるようになります。全体とは何で、自分はどのような役割を担っているのか。意識して役割を確認する頻度が高まってきていると感じます…。
迷惑、負担の及ぶ範囲を認識できるようになるからこそ、責任を負かされるのだ、と信じたい。
「ロードバイクとマウンテンバイク、どちらが危険か」、という記事に興味を惹かれています。路面が不安定なので一見マウンテンバイクの方が危険度は高そうであるが、ロードバイクは事故にあうときのほとんどの場合は他者の介入が原因なので、こちらの方が危険度は高い、と云う結論でした。
掲題を抽象化するならば、「Own-risk」と「Someone-risk」、どちらに問題が存在するか、ということになります。
題材となった自転車を例に取りましょう。山中で自転車に乗るときには己の判断でルートを選び、転ばずに進めるかどうかがその判断に対する評価となります。そして判断の結果、自分の実力では乗り越えられそうに無いな、と思えば降りて押すこともできます。つまり自分の判断だけで、全てのリスクは回避可能な訳です。
一方、舗装路を走るロードバイクでは、自動車の挙動や歩行者の飛び出しをはじめ、自分以外の引き起こす要因でリスクは刻々ともたらされます。安全側を見込んだ運転をしていてもゼロに抑えることはできません。
一人で完結する業務ならOwn-risk、誰かが介在する(パートナーやユーザなど)業務ならSomeone-risk、と結論の方向を延ばすのなら以下のようなことも云えるのではないでしょうか。
「マイペース」という言葉が会話文中で用いられるとき、その意味は「スローペース」という似て非なる意味で解釈を求められる場面の方が多いと経験的に覚えます。自分だけでリスクを負える文脈ならともかく、進捗に影響するボトルネックとなるような文脈でも散見されることがあり、悩ましいところです…。
また、昨年議論の対象となった「自己責任」論についても同様に、抽象化した法則が適用できるのではないでしょうか。年齢を重ねるにつれて自己責任の範囲は広がりますが、それと同等の広がりで、自分が歯車を止めてしまうと全体の工程に影響してしまう機会にも手を付けるようになります。全体とは何で、自分はどのような役割を担っているのか。意識して役割を確認する頻度が高まってきていると感じます…。
迷惑、負担の及ぶ範囲を認識できるようになるからこそ、責任を負かされるのだ、と信じたい。
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